日記を久しぶりに書いてみようと思う。今日は人と話したので気分が良い。とは言ってもあまり書くことはない気がないする。
7:30くらいに起きて7:40くらいに出て、13:30くらいに帰ってきた。
昼食はチャーハンを作って、食べた。チャーハンといっても、ご飯に卵を混ぜて焼いただけのもので、具材は入っていない。最初はボウルに冷やご飯と生卵にマヨネーズを入れて混ぜたものをフライパンで焼いていたが、最近は冷やご飯をレンチンして、先に冷やご飯をフライパンに入れて、あとから卵を入れると、チャーハンっぽくなる(具体的にはどの米粒にも引っ付いていない、小さい卵焼きの塊みたいなものができる。私としてはこれはとてもチャーハンらしい)ので、それをやっている。味付けはたまに創味シャンタンを入れたりする、あと、食べるときに塩胡椒を適宜にふりかけている。
そのあとはスマホを触ったり、ゆらぎの神話に追記をしたりした。
透明な血を受け継ぐ神々を魔路神群の従属神とみなした、とあるが、透明な血を受け継ぐ神々は中央大陸におり、魔路神群は本大陸にいるから、ヘンな気がしたが、本大陸の教王庁と中央大陸の反教王庁同盟の争いである千年聖戦があり、大陸の同士の交流はあったということで、そこまでヘンではないのか、となった。
ゆらぎの神話はページを辿らないとよく分からないことがよくある。北方帝国が本大陸にあることも今日、知った。本大陸のページには北方帝国のことが書かれているけれど、北方帝国のページでは本大陸のことを言及していない、みたいなことがよくある。そういうこともあって、ゆらぎの神話の歴史・地理の全貌を理解していない。追記するときは関連するワードで検索して出てきたページだけを見ている。
『情動の哲学入門』の第一部を読んだ。
- 事物の価値的性質は身体的反応を通して感受される。そのとき、身体は媒体として透明になっている。身体に注目したとき、価値的性質は見えなくなる。
- 価値的性質は事実的性質に付随しているが、還元されるわけではない。価値的性質は気遣いに依存しない。
- 知覚によらず事実判断ができないように情動によらず価値判断はできない。
- 情動と価値判断の二重過程理論
といった感じの内容だった。正直、納得はあんまりできていないがおもしろい。
読んだときはフィクションのパラドックスに対するひとつの解答になるのではと思ったが、違うような気がしてきた。
スペースに入って、いろいろ喋ったりした。冒頭で人と話したというのはこのこと。